女性のダブルスタンダードについて考えてみた

「これだ、女は利に聡(さと)いから信用できねーんだ」とアニメ銀魂184話で銀時が言っていました。だからなに、といったことではないのですが

英語では

「Women can’t be trusted because they do whatever benefits them」と訳していました。

whatever(だからなに)、といったことではないのですが、whateverの使い方は受験英語が英語であった私には分かり難い。

 

話を戻して、女性のダブルスタンダードで取り上げられることのひとつは「ハラスメント」です。

女性の傷付いた気持ちを、男性が「そんな事くらいで…」と言えば、これがハラスメントです。

これは別に男女性別に関係なく、人それぞれ傷つくことやその大きさは違うのに、無神経に己の尺度で「そんな事」と決め付けられたくありません。男性だろうと傷つくときは傷つきます。

 

とはいえ、女性は男性中心として築いてきた社会にいるだけで、そこにいるだけで、無防備に傷つけられることは多いです。

 

しかしながら、完全に男性が不利だと思うことがあります。

 

ひとつは、女児に対しての扱いです。男性だというだけで、例えば、道を聞かれた、公園で一人泣いていたから声かけた、と不用意に近づけば訴えられても文句が言えないでしょう。女性だと男性ほど過敏にはならないです。

さらに、痴漢冤罪です。電車で男性は可能な限り女性から離れたいでしょう。もちろん、痴漢などおかしいことをする輩がいるため冤罪がおこるのですが、それは痴漢といった犯罪行為に憤ることであり、男性に対して憤ることではないです。もちろん悪いのは痴漢をする男性といったことが前提です。

 

話はそれますが、以前、転んだおばあさんに手を貸してあげたことがあります。そのとき、「ありがとう」の前にカバンの中や財布を確かめられたときは、なんとも言えない気持ちでした。

 

つまり、差別や偏見は人には起こり得ることであり、わざわざ女性のダブルスタンダードと女性を誇示しなくとも良いのかと思います。

弱い立場として「女性の」とカテゴリーをくくることで、社会においてや家庭においての男性との差を分かりやすくするかもしれませんが、なんだかそこに「女性は利に聡い」といわれる要因があるように感じます。もちろん、男性社会の中では利に聡くなるはかはなかったのだと思いますが、「女性にしかできないことと、女性であることを武器にできること」を履き違えても仕方がない話です。

 

女性専用車両や、結婚は男性に損とか、そんな記事をみると、男女の溝は深まっているよう感じます。いや、人と人との溝が深まっているのかもしれません。